【童磨】なぜ遊郭にいたの?理由は万世極楽教を布教して広めるためだった可能性も

鬼の中でも圧倒的な強さを誇る上弦の弐・童磨ですが、2つの顔を持つ鬼でもあります。

表向きの顔は宗教団体「万世極楽教」の教祖ですが、裏の顔は信者たちを微笑みながら喰らうサイコパスな鬼。

そのため、無惨にも距離を置かれるほどですが、今回は童磨がなぜ遊郭にいたのか?を確認していきましょう。

目次

【童磨】上弦の陸の時になぜ吉原の遊郭にいたの?

鬼滅の刃 童磨 遊郭 なぜいた

遊郭編で炭治郎たちと死闘を繰り広げた上弦の陸・堕姫と妓夫太郎。

遊郭の劣悪な環境で育った末、客の目をかんざしで突いて失明させた堕姫が報復として全身を焼かれ、妓夫太郎は背後を切られてしまいます。

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瀕死の状態で遊郭の中をさまよっていた時、遊女を食べている最中の童磨に出会います。

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童磨

お前らに血をやるよ。2人ともだ

血を分けて二人を鬼の世界へ手引きしたのは、偶然居合わせた食事中の童磨でした。

童磨はなぜ遊郭にいたの?理由は2つ

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なぜ童磨は遊郭にいたのでしょう?

それには2つの理由があったと推測されます。

  1.    童磨は女を食べるのが好きだったから
  2.    童磨は万世極楽教を布教させたかったから

ここで、童磨が遊郭にいた理由を詳しく解説します。

①童磨は女を食べるのが好きだったから

万世極楽教は女性信者が多い

童磨が教祖の「万世極楽教」は、伊之助の母のように夫に暴力を受けたり、社会の底辺で生活をせざる負えない不幸な境遇の女性が多く集まる駆け込み寺的な要素がありました。

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柔らかい物腰の童磨に魅了される女性も少なくなく、自然と女性を食べる機会が多かったのでしょう。

栄養価が高くて食べると強くなれる

童磨は女性を絶対に食べない上弦の参・猗窩座を例に出して、女性の肉を食べるメリットを解説します。

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童磨

女は腹に子供を宿すほど栄養価が高く、食べると強くなる

哀れな信者の肉を食べ栄養を蓄えた童磨は、位の低い鬼が位の高い鬼に挑む「入れ替わりの血戦」で一気に上弦の陸から弐に昇進するほどの強さを身につけました。

②童磨は万世極楽教を布教させたかったから

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遊郭で働く女性たちは借金のかたや口減らしのために売り飛ばされることが多く、身も心もボロボロであることが想像できます。

そんな時に心のよりどころとして「宗教」はかけがえのないものとなっており、史実においても布教活動は盛んだったようです。

吉原遊郭の楼主が信仰を始めたことは、それまで以上に多くの人に教えが伝わることとなり、吉原から始まった人だすけの道は、現在の淺草大教会の礎を築くまでに発展することになります。

出典:浅草大教会

経営者でもある楼主も熱心な信者であることが多かったため、遊郭は宗教が広まりやすい環境でした。

遊郭は格好の餌場

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以上の2つの理由から、なぜ遊郭にいたのかをまとめると、

  • 夜の街・遊郭は日光を嫌う鬼にとって好都合な場所だから
  • 遊女たちが「足抜け」することも多く、好物である女性たちを食べても気づかれにくい
  • 布教活動をして信者を増やし、食料を確保するため

となります。

遊郭は夜にたくさんの人が訪れる場所であり、鬼にとっては活動しやすい状況です。

また、辛さに耐えられずに逃げてしまう「足抜け」も多く、突然遊女が消えても不思議ではありません。

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まして、教祖である童磨は布教活動と称して遊郭に出向くことも多く、餌としての信者を獲得することを目的とした食糧庫的な役割も兼ねて頻繁に出没していたのではないでしょうか。

【童磨】万世極楽教のモデルとなった宗教はあるのか

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結論から言うと、直接的なモデルはありません。

ただし、作中で「百年余り上弦の鬼の入れ替わりがない」と記載されていること。

また鬼滅の刃は大正時代とされているので、童磨が人間として生きていたのは江戸時代後期と考えられます。

そして、そのころ流行った宗教をモデルにしているのではないかという説があります。

幕末に創立された新興宗教がモデル?

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まず、「万世極楽教」の教えを見ていきましょう。

  • 鬼舞辻無惨を唯一の神とする「一神教」
  • 「穏やかな気持ちで楽しく生きる」
  • 「辛いことや苦しいことはしなくてもいいし、する必要はない」

江戸時代後期、開国前の日本では様々な思想を取り入れた新興宗教が数多く創立されました。

それらの中には、一神教であることや「晴れやかな喜びに包まれた楽しみづくめの暮らし」という教えを説くものが存在します。

遊郭での布教活動も盛んであったことから、おそらくそのような宗教の思想をモチーフに考えられたのではないかと推測されます。

まとめ

今回は童磨が遊郭にいた理由と、教祖を務める「万世極楽教」のモデルについて解説しました。

童磨は幼い頃から「神の子」と崇められていました。

鬼滅の刃 童磨

精神が成熟する前に身勝手な両親や不幸な大人たちの苦しみを目の当たりにしたことで、あらゆる感情がマヒしてしまったのではないでしょうか。

サイコパスな性格が形成された要因がそこにあるのなら、童磨もまた悲惨な過去を持つ被害者と言えるでしょう。

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